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伊藤寒水碑



伊藤寒水碑


伯爵東郷平八郎書


 明治33年〜34年に小諸小学校にいた、寒水伊藤長七先生の追慕の碑です。(昭和6年4月建立)
 伊藤先生は実に熱血あふるるが如く、教鞭を執られたので、僅か一年ではありましたが、忘れることが出来ない印象を教え子に刻まれました。
 小諸を去った伊藤先生は後に東京府立第五中学校の校長となり、昭和5年病没されました。

 碑銘の伯爵東郷平八郎の書は信州出身の数学者藤森良蔵氏が伊集院大将の子を教えた関係で 伊集院大将を通じて東郷伯に頼み、老齢で書を書くのを拒んだ東郷伯に特に書いて貰った由来があり、東郷伯の絶筆と言われています。

当時 伊藤先生のクラスは土蔵校舎(小諸城の土蔵を移築)で授業をしていました。
暗かったので、よく野外授業として黒板を持って小諸善光寺さん境内の三本松の下で 授業をしました。その縁で碑は小諸善光寺さんの境内の元三本松の所に建てられました。 尚、その三本松は戦時中 松根油の為に供出されて今はありません。

 その彼らの エピソードですが、新しい校舎を作るのにあたって、「みんな一生懸命 働けば 新しい校舎に入れてやる」と言われて かなり作業に協力したそうです。ところが実際は(男の子が使うと汚くなるので)女子を入れたため、「約束が違う」と、ストライキで小諸駅前の鹿島神社(今は移転してありませんが、ここはこんもりした小山でした)に一ヶ月位 学校へ行かずここにいたそうです。親がどんなに説得しても聞かなかったそうです。「当時の10歳位の子供はそれだけの気概があった!」と、このお話を聞かせて戴いた 小諸善光寺さんの荒井さんは つぶやいていらっしゃいました。


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